2012年3月25日
宇佐美 保
テレビ朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスターは、2012年3月11日の原発事故特別番組で、「圧力がかかって番組を切られても本望」と語られたことを、先の拙文≪原発非常時冷却システムを撤去していた勝俣会長≫に記述しましたが、その際の発言に有った『2011年12月28日の特番「メルトダウン 5日間の真実」』に関してインターネットを検索した結果、その番組を、LunaticEclipseMinama
さんが
2012/02/21 にYou Tube へアップロードして下さっていました。
(報道ステーションSP「メルトダウン5日間の真実」
http://www.youtube.com/watch?v=7Vr4Dz1drVQ&feature=related)
そこで、その映像を見、驚きつつ以下にその一部を(順序を変えていますが)抜粋し掲載させて頂きます。
先ず、“若しベントが行われていなかったら、どうだったのでしょうか!?”の疑問に関しては、米国ニューメキシコで行われていた「格納容器の耐圧実験」の様相を伝えてくれます。
実炉の4分の1のコンクリート格納容器(コンクリートと鉄板でできた構造物)に水を入れて圧力を上げると、外壁のコンクリートが避ける不気味な音と共に爆発崩壊、若し実際の格納容器が爆発すれば、まき散らされるのは大量の放射性物質だ。 |
写真:1 「格納容器の耐圧実験」の様相 | ||
写真:1-1 | 写真:1-2 | 写真:1-3 |
写真:1-4 | 写真:1-5 |
写真:2 隔離されたベント用バルブ |
班目春樹原子力安全委員会委員長:最後の砦が格納容器で格納容器が壊れてしまったら、あと収拾がつかない。ベント以外の炉を救う道はない この様な背景から、東電は、3月12日 午前1:30 政府にベントの申し入れを行う。 寺田氏(当時総理補佐官)“政府としては了解している。ただ了解した後どれくらい待ってもベントが始まったって話が無いので、なんでベントがされないのかと、政府としては不安に思っていた。何故なんだと東電に何度か問い合わせた。” 実行されないベントその中で、午前2時半には格納容器の圧力は8気圧を超え、設計圧力の2倍に迫ろうとしていた。このままではいつ爆発してもおかしくない。 全ての電源を失っての手作業のマニュアルもないし、訓練もしていなかった。 |
午前7時11分菅総理、福島原発現場に着くと所長の吉田と向き合った。 菅総理(当時)
寺田学総理補佐官(当時)
説明を始めた吉田に菅は、ベントを強く迫った。
吉田は答えた
|
当時、第一原発にいた吉澤厚文氏(ユニット所長):現場の線量は約ミリシーベルト/時……本当に決死の覚悟でないと行けない 原子炉建屋の現場に誰が行くか、人選が始まった 若い人には行かせられない、俺が行く。年配の運転員が次々と手を挙げた。 決死隊はベテラン6人 |
午前9時4分 | 第1班の2名が原子炉建屋の蒸気の立ち込める2階に突入、バルブを一気に回し引き返す。この間およそ11分間 |
9時24分 |
第2班 残るバルブのある地下1階へ向かう、しかし線量計の針が振り切れ撤退 (被曝量は106ミリシーベルトだった) |
制御室からの遠隔操作が試みられた、3回(電動用)スイッチを押したが駄目。 | |
午後2時半 |
しかし、建屋入口からコンプレッサーを用いて強力な圧縮空気を弁に当てて弁を開け、ベントに成功。 ベントが成功し、圧が急激に下がる |
しかし、米国では、菅さんのように、国のトップが直接原発事故現場に乗り込むことはありえないと、
米国 原子力規制委員会 ヤッコ委員長 “原子力会社の対応がおかしければ、我々が乗り込んで行って対応します。” |
ところが、日本では、菅総理(当時)曰く
“一番それ(原子力規制委員会)に近いのが原子力安全・保安院ですけれども、 とてもとてもそんな体制は備わっていません。原子炉そのもののオペレーションは基本的には事業者がやる法体制になっているし、 (東電に)任せざるを得ないような態勢しか行政の側には準備ができていなかった。” |
全てが準備不足だった、政府も東電も…… |
更に、スイスのライプシュタット原発などでは、先の「写真:2 隔離されたベント用バルブ」のように、作業員が被ばくせずに、壁の向こう側のベント弁を遠隔操作できるようになっている。
それなのに、決死隊の尽力の後、
ベント実施1時間後:3時36分に建屋水素爆発との新たな危機が襲う。 吉田所長:“ボンという音を聞いた これで終わりかなと” |
ではなぜベントできたのに、水素爆発が発生したのでしょうか?
北海道大学原子炉工学研究室 奈良林直教授は
“ベントしたことによって水素が供給されて、これが建屋の水素爆発につながった可能性がある。”との疑念を呈しました。 |
なんと、
ベントライン(ベント用の配管)が空調用の配管につながっていた。 |
但し、ベントラインからの空調配管へのベントガスの流入を防ぐ名目で、その両配管系の間に、ダンパ(羽を開け閉めして流量を調整する空調用の装置)が存在していたが、このダンパが(番組でも)実験して、このダンパが無力であることが判明する。
(水蒸気とヘリウムガス(水素の代わり)の混合ガスをダンパ外側(ベント側)から、流すと「写真:3-3」に見ます様に、ダンパの隙間からの蒸気が逆流して行くことが判ります)
写真:3-1 | 写真:3-2 |
写真:3-3 ダンパの隙間からの蒸気 |
奈良林教授
“単に設計ミスという軽いものでなくて、安全や事故に対しての真剣な取り組みがなされなかったこと自体が大きな問題” |
スリーマイルの事故後、高い気圧に耐えるベントの配管を付けるようにとの機運が強まった。 勿論、先のベント弁対策を実施している
ところが
その結果、日本の原発、全国(番組調査では29か所)に福島原発と同じような配管となっている。 |
これらの問題は、ストレステスト以前の問題です。
そして、この菅さんが福島第一原発に乗り込んで、ベント指示した一連の行動に関して、川村晃司氏(テレビ朝日コメンテーター)は、先の拙文≪川村晃司氏は東電の走狗に変身!?≫にも記述しましたが、次のように非難されていたのです。
朝日ニュースターの番組「パックインジャーナル」での川村氏の「東電の走狗的発言」を以下に抜粋させて頂きます。
先ずは、6月18放送での川村氏の「菅内閣の初動」非難です。
官房長官が止めたのに、菅さんは俺は、原子力に強いから≠ニ言って、3/12班目さんと一緒に福島原発に視察に行った。 その時、現場は総理が来るんだから、対応しなくてはならない。 しかも、菅さんが上空を視察している時に、本来であれば、先にベントをやらなければいけなかったんですよ、総理が上空にいた時に、排気して放射性物質を出すなんて言う事は出来ない。 |
更に、川村氏は次のような言いがかりをつけています。
そのことを考えると、一番の最高司令官と言うのは、何を今やらなくてはいけないかは、自分が視察に行く事ではないことで、抑えることを徹底しなければ。 あの時に行った事で、どれだけ遅れたかと言う事を含めて言えば、私はやっぱり内閣の初動対応は国際社会からも(不信感を抱かれ)、水素爆発が起きないと、福島の第一原発は危機的な状態ではないと言い切った、そのニュースが海外に流れた直後爆発。…… ()内は、筆者の補足 |
菅さんは、原発に視察に行ったのではなく、ベントを催促に行ったのであり、そこで、決死隊による作業まで依頼し、決死隊の皆さん、吉田所長らのご尽力でベントに成功し、格納容器の爆発という破局的な危機を救ってくれたのです。
(勿論、このような見当違いの批判を菅さんに浴びせたのは川村氏だけではありません。
その一例を、文末の「補足」に掲げます)
ただ残念なことに、東電自体が安全や事故に対しての真剣な取り組みをしてこなかった結果、水素爆発が発生してしまったのです。(奈良林教授の御推測)
更に、「福島第一原発敷地境界での放射線量」のグラフを見ると、1号機等での水素爆発後(写真:4-1)では、グラフ値は、さして高くないが、2号機の空焚きが判明した14日夜に、グット上がり(写真:4-2)(指示棒の先のグラフ)、2号機で衝撃音が発生した15日午前中には、とてつもなく高くなっている(写真:4-3)(指示棒の先のグラフ)
写真:4-1 1号機等での水素爆発後 |
写真:4-2 夜2号機の空焚き後 |
写真:4-3 15日午前2号機で衝撃音後 |
従って、格納容器に穴が開いたのではないか?との専門家の見解もある |
。
それなら、ベント出来ずに、「格納容器の耐圧実験」(写真:1)に見るような、格納容器本体が爆発してしまっていたら、日本はどうなっていたのでしょうか!?
恐ろしいことです。
更に、
福島原発事故は、津波が原因というだけで、その津波が来る前に地震によって一部壊れていたのではないかの疑問が生じます。 以前から日本の原発、美浜原発、浜岡原発で配管のひび割れは報告されている。ところが同じように老朽化した福島第一原発ではこの件に関して東電から全く報告されていない。 |
当時第一原発にいた原発作業員 木下聡さん 炉心から10メートルほどの距離で作業中地震が来た “建物全体がもう……地鳴りみたいな そういう感じで……ほかの設備のものが落こってきたり、天井にいろいろケーブルとか通す配管とかあるんですけど、そういうものが天井からドサッと落ちてきて、そのホコリで辺りは全然見えなかった” 4階の使用済みプールでは、バチャバチャバケツ揺らすと同じで水が溢れていたと同僚が話していた。 別の作業員の証言:2階の天井のクレーンが1階に落ちていた 3号機にいた作業員:原子炉建屋では4階から1階に下りる途中コンクリートの塊が落ちていた。タービン建屋に入ると太さ30cmの配管が4〜5mにわたって落下していた。 これらは、政府や東電の報告書にはない 元GE社員 菊地洋一氏 “配管下側の溶接は、歯医者の鏡の大きいものみたいな鏡を見ながら、溶接” 溶接した連中曰く“ろくな溶接は出来ませんね、検査は通るけど” |
このような状態で、原子炉本体が無傷であったとは信じがたいことです。
それでも又、この件も、先の格納容器の幸運同様な「信じられない幸運」だったのかもしれません。
それでも、東電は配管の損傷はないと言っているが、今月、国が発表したデータ(0.3cmの穴が配管に空いたと仮定してのシミュレーション結果)と圧力変動グラフがまったく一致する。 (筆者注:「福島第一原子力発電所1号機 非常用復水器(IC:イソコン)作動時の原子炉挙動解析 平成23年12月9日 独立行政法人 原子力安全基盤機構 原子力システム安全部」 http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/800/25/005/231209-3-2.pdf をご参照ください) |
しかし、又、別の見方をすると、今回の原発事故は、不幸な事故ではありますが、ある種の幸運(不幸中の幸い)のお蔭で、被害状況が今回程度に収まったとも私は思うのです。
即ち、2号機に於ける「格納容器に穴が開いたのではないか?」は、「格納容器強度にムラが存在していた為に、その一番弱い個所(元GE社員の証言:配管溶接不良個所)が(小さく破損し)安全弁の役を果たし、格納容器全体の破損を免れた」と推測するのです。
又、1号機などでも、格納容器の蓋をその本体に締め付け固定するボルトの強度が本体強度より弱かった為に、その部分で、本体と蓋の間に隙間が生じ、そこから、気体(蒸気など)が漏れ、格納容器圧力が容器爆発を引き起こす最悪の状態までには上昇しなかったのではと思うのです。
手動でベント作業に向かった際も原子炉建屋内に充満していた蒸気は、この隙間から漏れた蒸気だったと思うのです。
以上の推論から、格納容器には、予め安全弁(ベント配管へ通じる)を設けておくべきと存じます。
そして又、「2階の天井のクレーンが1階に落ちていた」(又コンクリートの塊)との証言の、落ちた1階の場所が重要な配管部分であったら、それに「太さ30cmの配管が4〜5mにわたって落下していた」がタービン建屋でなく原子炉配管自体だったら、どのような惨状に陥っていたかと考えると、やはり、今回の原発事故は、不幸中の幸いであったのでしょう。
これらのある意味での幸運は「結果論的幸運」であって、このような幸運に頼った設計は断じて許されるものではありません。
このような「結果論的幸運」を、かつての「神風的発想」で、現実、実力をはっきり認識せずに、前に来た道を再び歩み始めることには断固として反対しなくてはなりません。
「補足」
先ず最近の例として、『週刊文春(2012.3.29号)』「本音を申せば」に於いて、小林信彦氏は、東電に対する非難の声を上げることなく、次のように記述されています。
……福島第一原発事故が発生して五日目の昨年3月15日菅直人首相(当時)が東京電力本店に乗り込んだときの映像が東電に残っていることが、……判明した。……
ところが、ここでの菅直人の声が、ないらしい。……
国会の事故調査委員会での映像問題は、声が消えていてもすぐに詳細な記録が出てきた。
最高権力者にプライバシーなどないのである。
原発を推進してきた責任は自民党にも大いにあるが、去年の三月の事故については、まず、菅直人、ヘリに同乗していた班目内閣府原子力安全委員長の二人にある。斑目は〈水素爆発〉に気づいたが、〈水素爆発〉はない」と菅直人に答えていたので──茫然自失しただけだった。太平洋戦争時と同じ〈無責任体制〉をここに見るといって、大げさではないだろう。
裁かれぬまま菅直人は姿を消し、そのあとの野田首相は「(除染していない)がれきを再生利用すればいい」とシレッとかたっている。…… |
このコラムの中で、小林氏は“原発問題をもっともくわしく報道するといわれる東京新聞”とも書かれています。
だったら、拙文≪死を賭した菅さんを葬る東電マスコミ≫にも引用させて頂いた、東京新聞夕刊(3月15日)の記事を読み、菅さんへの感謝の念が湧かなかったのでしょうか?不思議です。
それに菅さんご自身とて音声が残っている事に不満、不安はなく、却って歓迎するのではありませんか!?
又、不思議に思うのですが、この程度の感性の持ち主が、そのコラムで映画評論などなさっておられるのですから、評論の世界も似たり寄ったりなのでしょうか!?
次は、東京新聞(2011年3月30日)よりの抜粋を以下に掲げます。
二十九日の参院予算委員会で、菅直人首相が東日本大震災翌日の十二日に首相官邸を離れ、福島第一原発を視察したことをめぐり論争が繰り広げられた。野党側が「初動対応の遅れにつながった」と批判したのに対し、首相は現地の状況を把握するうえで必要だったと反論。初動段階での首相の行動は今後も議論を呼びそうだ。 論戦のポイントになったのは、1号機で格納容器の圧力を下げるために行われた放射性物質を含む蒸気の排出「ベント」。政府は十二日未明に指示したが、実際に東京電力が作業を始めたのは同日午前九時すぎだった。 これについて、公明党の加藤修一氏は「ベントをしなければいけない時に首相が来れば、(東電は)受け入れ態勢を取らなければならず、判断が鈍る」と指摘。「被ばくの関係があるので(首相の被ばくを)避けるために遅らせたともいえる」と述べ、首相の視察がベントを遅らせた可能性に言及した。 自民党の礒崎陽輔氏も「緊迫した状態の中、視察に行ったのは初動ミス」、たちあがれ日本の片山虎之助氏は「総大将がうろうろしてはいけない」と、軽率な行動だったと批判した。 …… 自民党の石原伸晃幹事長は二十九日の記者会見で、首相の原発視察について「時系列を追って調査している。時期が来たら、ただすべき問題だ」と、今後も追及していく考えを示した。 |
更には、≪不確かな情報を避けた官邸が「情報隠し」と吹聴された?≫へと続けさせてください。
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